慶應義塾體育會山岳部について

資料室

過去100年の足跡
1915・5・24 槇有恒、内田節二ら、大学として初の山岳会を慶應義塾に設立。
1918 部歌『守れ権現』が作られる。
1919 体育会に加入し「体育会山岳部」となる。
1919 会報『登高行』発刊。
1921・9 槇有恒ら、アイガー東稜の初登攀に成功。
1924・3 奥穂高岳、北穂高岳、前穂高岳積雪期初登頂。
1924・7 前穂高岳北尾根および屏風岩慶應稜初登攀。
1925・7・21 カナダ アルバータ峰に初登頂。
1926・1 剣岳厳冬期初登頂。
1928・1 前穂高岳北尾根積雪期初登攀。
1930・1 奥穂高岳厳冬期初登頂。
1931・1 三田幸夫、インドクルー地方のロータン・パスに冬期登山。
1931・3 槍ヶ岳から奥穂高岳まで積雪期初縦走。
1932・4 剣岳八ツ峰上半積雪期初登攀。
1932・7 北海道日高ペテガリ岳初登頂。
1933・1 西穂高岳において初めて天幕を使用。高所露営を試みる。
1933・3 剣岳八ツ峰、源次郎尾根を高所露営にて登攀。以後、ヒマラヤ登山を目指し、高所露営、雪洞、極地法などの高所登山技術を研鑽。
1935・6 登高会の歌『旧き友よ』発表。
1935・7 剣岳八ツ峰六峰Cフェースリッジルート初登攀。以後「慶應ルート」と呼ばれる。
1936・4 剣岳早月尾根を上り、山頂にて雪洞露営を試みる。
1936・11 山岳部有志により『ウン・デン・カンチ』の抄訳を刊行。
1937・12 極地法で西穂高岳より奥穂高岳を登る。
1938・12 極地法で前穂高岳北尾根8峰側稜より奥穂高岳を登る。以後、この尾根は「慶應尾根」と呼ばれる。
1939・12 早月尾根より厳冬期八ツ峰一峰までを完登。
1942・12 北鎌尾根末端より槍ヶ岳を極地法により初登頂。
1945・11 戦後第1回山行(丹沢テント行)。
1950・3 北岳から聖岳まで積雪期縦走。
1953・3 剣岳から西穂高岳まで雪洞利用による縦走。
1953 日本山岳会第一次マナスル登山隊に三田幸夫(隊長)らOB4名が参加。
1953・12 針ノ木岳から前穂高岳まで縦走。
1954・3-6 日本山岳会第二次マナスル登山隊に谷口現吉(副隊長)らOB5名が参加。
1956・3-6 日本山岳会第三次マナスル登山隊に槇有恒(隊長)らOB3名が参加。加藤喜一郎登頂。
1957・12 笠ヶ岳クリヤ谷から奥穂高岳まで極地法により登山。
1959 日本山岳会ヒマルチュリ遠征隊に田邊壽が参加。
1960 ヒマルチュリ峰に初登頂。
1969 日本山岳会第二次エベレスト南壁偵察隊に宮下秀樹(隊長)、田邊壽(副隊長)が参加。
1970・3-5 ヒマラヤ・バウダ峰初登頂。
1971・6-7 ヒマラヤ・メントーサ峰(6443)の5550m地点に到達。
1980・2-8 日本山岳会チョモランマ登山隊北壁隊長として宮下秀樹が参加、初登頂に導く。
1983・2 ヒマラヤ・チャマール峰(7177)の7000m地点に到達。
1988・3-5 日中ネパール三国チョモランマ・サガルマタ交差縦走隊に報道隊員として井原敦が参加。
1990・4 鴨野弘嗣、大島正浩、菅野健也、四倉英二、野々村美宗が槍ヶ岳で他大学隊の遭難を救助。
1991・10 日中ナムチャバルワ合同登山隊に山田二郎(総隊長)らOB2名が参加。
2005・9-10 チベットカルション峰(6,674m)河西瑛一郎・新谷忠男初登頂。